Boxing Novelette ボクシング短編小説
|
 |
19
武蔵野丘陵を見上げる谷の一角の小さな家に、祥子の母は住んでいた。谷をわたる風は、異様に冷たかった。
「ここはあの子がまだ小学校に上がる前に越してきたんです。そのころはもっと冷たい風が吹いていたんですよ」。母親は風の冷たさを話題にした私を非難するかのようにそう言った。
東武戦のS駅を降りてから祥子の家にたどり着くまで、私は彼女の母親が電話で私に話したことを反芻していた。「丸谷さん? ああ、娘のことを記事にしてくれた方ですね」。即座に応じた彼女に祥子のことを尋ねた。「娘は今、入院しているんです。」。その淡々とした口調に、私は意を強くして病名を聞いた。少し間があった後、母親が言った。「私にもよく分からないんですよ」。その投げやりな言葉を奇異に感じた私と母親の間でしばらくやり取りがあった後、私は病院の名を聞いた。ためらいがちに母親が口にした病院名は驚いたことに、私の自宅から4キロほど離れた場所にある千葉県I市の病院の精神病棟だった。
「僕が面会することはできるのですか?」。私の問いかけに彼女から返ってきたのは「病院が許可してくれないと思います」という表情のない言葉だった。その母親に私は、あらためて時間をかけて祥子のことを聞いてみたかった。母親は困惑することもなく自分の都合のいい日時を告げた。こうして私は祥子の家を訪ねることになったのだった。
祥子はどういう経緯で精神病棟に入ったのか。それは祥子の意思だったのか。それとも病識がないほど祥子は精神を病んでいるのだろうか。様々な思いが、S駅を降りて、祥子の家を目指す私の脳裏を交錯した。谷をわたる苛烈な風は、そんな私の思考を遮るように吹き続けたのだった。
祥子の家に入って真っ先に目についたのは、東側の壁に我々を見下ろすように飾られた5、60センチほどの磔になったキリスト像だった。
「神様とイエズス様に見守られて。私は辛うじて生きているのです」。
キリスト像を見つめていた私に母親は唐突に言った。
「祥子さんもクリスチャンだそうですね?」。
「いえ、あの子は神様に背くことばかりやってきて・・・」。
「例えばボクシングとか」。笑いながら言葉を継いだ私に、彼女は表情を崩さずに
「おまけに子供までこしらえて・・・」とこちらに顔を向けた。
「じゃあ本当だったんですか」。私は恐る恐る口を挟んでみた。自分が祥子の父親と思われているのではないか、という疑心を抱きながら・・・。けれども彼女は、その問いに答えもせずに、視線をキリスト像に向けながら言った。
「あの子の行動はみんな私に対するあてつけなんですよ。ボクシングもロサンゼルスに行ったのも、子供を作ったのも・・・」。
それから3時間近く、祥子の家にいた。母親はその抑揚のない口調とは裏腹に、饒舌だった。中でも繰り返し語ったのは、かつての夫に対する憎しみだった。母親と祥子の父親とは、クリスチャン仲間だった。
「でもあの子の父親と私は、信仰に対する考え方が全く違うこと日に日に明らかになって・・・。キリスト者であることが、私達の人生で最も大切なことにはずなのに、娘の父親が望んだのはむしろ地上的な生活でした」。
「地上的とは?」と疑問を投げかける私を蔑むような眼差しで、彼女が説明した。
「自分の肉欲にルーズな生き方です。祈りを捧げる時間なのに娘と一緒にテレビに夢中になったり、安息日だというのに教会にも行かずに小説を読み耽ったり。そういった野放図な生活ですよ」。私はその母親の言葉を聞いて沈黙した。
やがて夫はその生活に耐えられなくなり、別の女性に安らぎを見出すようになった。母親の言葉の行間を埋めれば、そんなことがあったのだろう。いや、逆に夫に女ができたことが理由で妻は“キリスト者”としての人生に生き甲斐を見出そうとしたのかもしれない。いずれにしろ、そうして祥子の一家は破綻した。「この家は残されましたが、私にできることといえば洋裁だけ。生活は苦しかったけど、娘を神に見守られる学校に入れなければならないと考えたんです。だからあの子の精神が何故、段々崩れていったのか。私にはどうしても理解できないのです」。母親は予め、用意され原稿を読むように、言葉を並べた。
おそらく、この母親は夫と別れた後も、排除しなくてはならない葛藤を抱え続けたのだろう。その一方で娘にキリスト者としての過酷で厳格な精神生活を押し付け続けたのだろう。私は母親に祥子が宿した子供のことを聞いた。堕胎はキリスト教では神への背信行為であるからだ。
「去年の夏、流産しました」。素っ気なく母親が言った。 |
|
|
|
|
|
 |
|