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Boxing Novelette                     ボクシング短編小説


 8月に入ったというのに、その夏はまだ気象庁からは梅雨明けが宣言されていなかった。
 私が奇妙な夢を見たのも、異常な蒸し暑さのせいだったのかも知れない。
 何故かイサヤ・イコニが夢の中に登場し、ボクシングの取材をなりわいとしている私が、長年、探しても見つからなかった20年以上も前のスクラップブックの在り処を指摘してくれたのである。イコニとは1981年にケニアからヨネクラ・ボクシングジム入りし、83年に日本スーパーフェザー級王座を獲得。以後、6度も防衛し世界ランクも3位まで上り詰めながら、85年に導入されたCTスキャンによる脳検査で「異常あり」の診断を下されて引退を余儀なくされた黒人ボクサーである。

「おい、マルヤマよ」と夢の中のイコニは私の名を呼んだ。「あのスクラップブックは、奥の部屋の一番古い本棚の後ろにおっこっているよ」。さらに彼はこう告げたのだ。「お前が探しているスクラップの中に、俺を取材して書いた記事がちゃんと貼ってあるぜ」。こうまで明確な言葉で語ったかどうかは別として、とにかく彼はそういう内容のことを話すと消えていった。

ボクシング専門誌の「ボクシング・マガジン」に私が書かせて貰っている「拳豪列伝」という引退したボクサーを取り上げるコラムで、編集部から今回、振られたのが実はイコニだった。ただ、担当者から送られてきた資料だけでは、与えられたスペースを満たすのに不十分で、何故、イコニは日本にやってきて、そして帰国したのか。一番知りたいことが分からないのである。ヨネクラジムに出向いても、そのことを記憶していた人間は米倉健司会長を始め誰もいなかった。

 どうしたら、いいものか。イコニが夢の中に出てきたのは、私が思い悩みながら眠りに陥ったその夜だった。

 目覚めた私はその夢を反芻してみた。確か、イコニは探していたスクラップに、私が別の雑誌に掲載した記事が貼り付けてある、と言っていた。ばかばかしい、と思いながらも、その場所を探してみた。手応えがあり、引き寄せると何と「昭和のボクサー」と表紙に記された、あのスクラップだった。夢中でページをめくった私はさらに驚かされた。本当にイコニの掲載記事があったのだ。それはまさしく、私自身が書いた文章だった。

 その記事を抜粋するとー。

「豊富なアマ経験を持つイコニはプロ制度がない母国ケニアからさらなる可能性を求め、日本アフリカ文化交流協会を通じてヨネクラジム入り。・・CTスキャンによる検査で異常が認められ、引退を余儀なくされてから同ジムのコーチに就任。そんなイコニに運命の女神は粋な計らいをした。失意の彼が同文化交流協会主催のカルチャー講座に出席した折り、現夫人の西山敬子さんと知り合ったのだ。敬子さんはスワヒリ語にも堪能な女性。二人の心はたちまち通じ合い、86年2月に結婚。このほど、子供が出来たことが分かりイコニは帰国を決意した・・」

 何だ、私が知りたかったことが記されているではないか・・。私は自分の記事を参考にして無事に「ボクシング・マガジン」の原稿を書き終えた。

 それにしても、あの夢は何だったのか。勿論、イコニが、私が紛失したと思い込んでいたスクラップの在り処を知るはずもなく、知っていたのは私本人だ。人間の中に無意識の領域があることを発見したのは、いうまでもなくフロイトである。人間は自分にとって都合の悪い事態が生じた時、万人等しく、自我防衛機制を行う。そうしたことを意識の俎上から無意識の領域に追いやってしまうわけだ。

 すると、そのスクラップの中に、私自身、触れたくない「何かが」あったのか。その何かを私は無意識の彼方に押し込んでしまったのだから、私自身に分かるはずもない。それから20余年。もうあのスクラップを自分の前に差し出してもいいだろう。そう判断したのは、私であって私ではない無意識という名の心の深層だ。たまたま、困惑していた私に、そのスクラップの在り処をイコニを通じて指し示したのも、覚醒している時の自分には謎以外の何物でもない心の深淵だ。

 その深淵を探りたくなって、スクラップをさらにめくっていった時、私が出会ったのは、葬り去りたいと切に感じていた、あるボクサーとの交流を私自身が綴った覚書だった。その覚書が、その中に隠されていたのである。
つづく
丸山幸一の
『悪魔に愛されたボクサー』
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