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Boxing Novelette                     ボクシング短編小説

 私が大学時代の1年後輩だった郁子の死を知ったのは、イコニの記事を最初に書いた2年ほど前のことだった。その死を知らせてきたのは、私と郁子の間柄を知っていた大学時代の友人である。スクラップブックには「郁子死す」と乱暴に書かれた傍らに「篠田亮の死から18年」という添え書きがあった。

そんなことを記したノートを、何故か私は、スクラップブック代わりに使っていたのである。掲載された原稿の切り抜きを貼り付ける度に、その覚書は私の意識の俎上に上がってきたに違いない。忘れたい記憶を反芻することに耐えがたくなった私は、そのノートを葬り去りたくなった。そして、いつか所在が分からなくなった。大袈裟な言い方をすれば、そうやって耐え難い過去から自分を守ったのだ。・・ともかく、私は篠田亮と郁子のことを、記憶の底から掘り出す作業にかかることにした。

篠田は、今は閉鎖されたTジムで多くの期待を担ったプロボクサーだった。

 私が、子供の頃から憧れていたプロボクサーを志して、そのジムに入門したのは1967年の5月である。練習が終わり、初めて巻いたバンデージを感慨深げに解いていた私に、いきなり「歓迎会をしよう」と言って酒席に誘ったのが篠田亮だった。最寄りの駅近くの居酒屋で改めて自己紹介をした私に彼が言った。

「文学部の大学生である君が、今読んでいる本を教えてくれませんか」。浪人生活を送った末に大学に入学したばかりの私が読んだ本、といっても僅かな量だったが、多分に気負っていた私はドストエフスキーとヘッセの本の名を挙げた。すると篠田が唐突に言った。

「(ヘッセの)『デミアン』は僕の愛読書なんです。でね、僕にも、あのデミアンと同じ“印”があるんですよ」

「印ですか?」。私が言葉を挟むと、篠田は嬉しそうに続けた。

「そう、カインの印でもあるあの印ですよ」

 カインは旧約聖書の創世記によれば、アダムとエバが成した初めての子で、やがて生まれた弟のアベルが両親の寵愛を受けると、激しく嫉妬。その果てに人類初の殺人者となり、エデンの園を追われた男である。そのカインには印がつけられていた。追放されたカインを見つけた者が、彼を打ち殺さないように、神がつけた印だった。

アベルが両親に従順な心優しい男なら、カインは鋭い知性と、反骨の精神と、苛烈な情念を宿した男だった。そのカインを、ヘッセの中期の代表作「デミアン」の主人公は深く信奉した。そしてデミアンも、また「印」を持った人間だった・・。

 それにしても、どうして篠田が、いきなりそんなことを言い出したのか。デミアンの印は、デミアンと同じ種類の人間にしか見えない額の刻印である。篠田は「自分こそ選ばれた者」と言いたかったのか。それを尋ねようとした私を彼が遮った。

「いずれ、君にも僕の印がどんなものか、分かる時がきますよ」

 初対面にもかかわらず、饒舌だった篠田は、さらに謎をかけてきた。

「(ドストエフスキー作『罪と罰』の主人公の)ラスコーリニコフが、物語の始めに、世間から嫌われていた金貸しの老婆を殺害するでしょう?あの時の凶器の斧だけど、どうやって使ったか覚えていますか」

答えに窮していると篠田が「宿題にしようか?」と私の顔を覗き込むのだ。

「確か、斧の峰を老婆の頭に振り下ろして、殺したのだと思います」と答えると、

「その通り。では何故、峰だったのか?」とさらに畳み掛けてくる。

「その方が確実に脳天を割れると思ったからでしょう」

「ちっとも分かってないな」。私の言葉を一笑に伏した篠田が続けた。

「峰の方を使って打ち下ろせば、刃は自分に向けられる。その刃で、彼は自分自身の精神を切り裂いたのだ。これまでの、ロシア正教の臭いが残っている凡庸な自分。その自分を断ち切ったんだ。そうしてラスコーリニコフは自分の罪の敷居を跳び越した。それは彼が凡人から非凡人に、つまり超人になるために必要な儀式だった。その意味で彼は刃を自分に向けなければならなかった。分かるか、君に・・」

 「罪と罰」に関する幾つかの評論を読んだ私が、篠田の解釈がある評論家の受け売りであることを知ったのはずっと後のことである。だから、その時、私が抱いたのは、この一つ年上のボクサーに対する嫌悪だった。「僕は高校もろくに出ていない男だから」と言いながら、自分の深読みとインテリジェンスをひけらかす篠田。――何が、印だ、何が斧の刃だ。皮肉なことに、その篠田は私が子供の時から憧れていたプロのボクサーであり、Tジムの会長の期待を一心に担う男なのである。

 しかし、翌朝、目覚めた私が覚えたのは嫌悪感よりも畏敬の念だった。

 やがて、私は自分と一緒にいる篠田が誰よりも誇らしい存在に思えてきた。つまり私は篠田の虜になったのである。

 篠田の10戦目の試合は、67年の10月に行われた。それが初の10回戦だった彼は、2回に痛烈な左フック一発で、KO勝ちを記録している。翌日のあるスポーツ紙は、彼のことをこう報じた。「この日のKO勝ちで篠田亮の戦績は9勝(8KO)1敗に。新人王こそ縁がなかったが、その強打と巧みなコンビネーションはかつての天才世界チャンピオン・海老原博幸を彷彿させた」


 翌年の春、私は大学のボクシング愛好者数人と「ボクシング同好会」を創設した。Tジムには半年ほど通っただけだった。練習をさぼり、篠田と飲み歩いてばかりいた私は、T会長の逆鱗に触れ、除名されていたのである。
 同好会を積極的に援助してくれた人の中に、2002年の夏に急逝した石丸哲三さんがいた。石丸さんはハワイでプロになり、引退後は石丸ジムの主催者として名指導者振りを発揮するのだが、その頃は私が在籍していた大学の5年生で暇を持て余していたのである。

私が、しばらく試合から遠ざかっていた篠田を、石丸さんに引き合わせたのは夏休みに入る前だった。プロでの戦績に興味を抱いた彼はすかさずスパーを申し込んだ。石丸さんは東京五輪の代表にこそなれなかったが、アマとして大きな実績を残した選手である。

2ラウンドのスパーを終えた石丸さんは私に囁いた。

「強いね。大袈裟ではなく世界王座も取れる素質があるんじゃないかな」

「そうでしょう?」と頷く私に彼が言葉を継いだ。

「でもあいつ、左の目、相当悪いよ。ほとんど、見えてないな」

「まさか」と訝る私に、

「間違いないよ。左目の反応を見れば分かるさ」。断定的に言った。

 そしてその日を境に、私と篠田と、郁子を巻き込んだ悪夢のような日々が始まるのである。
つづく
丸山幸一の
『悪魔に愛されたボクサー』
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