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Boxing Novelette                     ボクシング短編小説

 1968年の初夏にスパーをした際、篠田の左目がほとんど、見えていない、と見抜いたのは石丸さんだった。

 私は思い切って篠田にその言葉を伝えた。すると、篠田は笑いながら言った。

「T会長も、とっくに知っているよ」

「それで、T会長は何と言っているんですか?」

「“お前のパンチ力があれば当分、勝ち続けられる。笹崎廣さんを見てみろ。戦争で一方の目の視力を失ってからも、ピストン堀口に何度も勝っているんだ”。そう言った後、俺の見えない左目を覗き込んで“後、3試合やったら、日本タイトルに挑戦させてやる”と言いやがった」

「それで?」

「その1試合目が去年の秋の試合さ」

 私は驚いた。私が彼と知り合った頃、既に、篠田の左目が失明状態に近かったこともさることながら、それを承知で試合を組んだT会長の神経に驚かされたのだ。

 けれども篠田は、その試合を最後にリングに上がろうとはしなかった。その理由を私が知ったのは、それから2年以上も後のことになるのであるが・・。

 ジムからも足が遠のいていた篠田が、どうやって生活していたのか。いや、大体、彼はどこに住んでいたのか。私は知り合った時から、篠田という人間について、ほとんど知らされていなかった。彼から私の住まいに電話があると、嬉々として指定された酒場へと急いだ。それは新宿だったり浅草だったり、その都度、違っていたが私にとって重要なのは、篠田と酒席を共にすることだった。

 こういう生活が1年も続いた頃、つまり篠田と石丸さんが出会った年、私の生活にも変化が起きていた。大学の授業で知り合った郁子と、西武新宿線 の新井薬師駅 近くのアパートで共同生活を始めだしたのである。風呂は無論のこと、部屋にはトイレもない4畳半で、家賃は6千円だった。

 その住居の最初の客が石丸さんだった。

「ボクシングを捨てたお前なら飲んでもいいだろう」と言いながら開けた風呂敷包みから出てきたのはウイスキーの角瓶とスルメだった。酒を嗜まない石丸さんの厚意に、その夜、私と郁子はしたたか酔いしれたのである。

 
「あなたがいつも話していた篠田さんだけど、最近会ってないの?」。郁子がそう切り出したのは、二人が共同生活を始めて1カ月が過ぎた頃だった。私は篠田について、どれだけ郁子に語り聞かせていたことだろう。しかし、篠田を彼女に引き合わせてはいなかった。

 そうすることが出来ない事情があった。恐らく、郁子が私に惹かれたものは、同世代の学生達が思いもつかない、深い思慮や洞察だったに違いない。そして、そのほとんどの出所が、篠田の内部にあった。私は篠田の思想や感じ方をオウム返しに郁子に語っていただけだった。何のオリジナリティーもない平凡極まる自分を、篠田に引き合わせることで、郁子に知られることを恐れたのだ。

 が、私のそんな恐れは、篠田の突然の訪問でさらに複雑なものになっていく。まだ暑さも厳しい8月のある日、それも私達が眠りかけた深夜、アパートのドアをノックする者があった。

「ねえ」。私を揺り動かしながら郁子が囁いた。「ひょっとしたら、篠田さんじゃないの?」。郁子がそういい終わると同時に「起きているか」という聞きなれた声が、静まり返った木造の廊下に響き渡った。

 私は慄然とした。
 しかし、そんな私を無視するように「ちょっと、待って下さい」。 郁子が意外なほど明るい声で応じていた。
つづく


丸山幸一の
『悪魔に愛されたボクサー』
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