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Boxing Novelette                     ボクシング短編小説
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 キリスト教ほど、性を弾圧してきた宗教はないだろう。
 イエス・キリストが処女のマリアから生まれてきたような話を作り上げたのも、キリスト教だけである。当然、恋愛などタブーで、それは近代に至るまでのキリスト教の重要な要素のひとつだった。結婚はあくまで、子孫を残すための手段に過ぎず、男女の性欲を満たすためのセックスなど、もってのほかであった。
 恋愛とボクサーに憧れた祥子は、かくして高井と恋仲になり、自然と肌を接するようになるのだが、シスターを冷笑していた祥子は、それから半年もしないうちに、シスターとは別の意味で男女の交わりを嫌悪するようになる。後にその嫌悪感の激しさを知った私が覚えたのは、彼女のその感情が、祥子が受けたキリスト教教育とは無縁ではあるまい、という感慨だった。

 自分の高校時代の話を終えた祥子は、一呼吸置くと、再び口を開いた。
「自分が考えていたほど、私はセックスに抵抗はなかったんです」
 高井との具体的な交情に触れ始めた祥子から、穏やかな表情は消えていた。
「高井のあたしへの態度が突然変わったのは、あたし達がそういう関係になって3ヶ月ほどしてからでした。あたしは高井と会っているとき、それなりに幸せでした。それなりに、と言ったのは、高井の中にどこか、ひやりとする冷たさのようなものを感じていたからです。でもそれまであたしは、アルゲリョに憧れていたのが唯一の恋、といったような幼い少女だったし、高井の冷たさも、プロのボクサーだからと思っていた。いくらあたしがボクシングを好きでも、実際に試合をするわけでもないし、プロのボクサーの心の中も、孤独も、想像してもわからない。それはどうしようもないあたしとの間の距離なんだ。そう考えて我慢していたんです」
 そこまで言うと、祥子は突然、沈黙した。いくら経っても再び、口を開こうとしない祥子にじれた私はきつい口調で言った。
「で、どうなったの?」
「すいません」と答えた祥子の声が震えていた。
「すいません」。
 同じ言葉を繰り返した祥子の目から涙が零れ落ちていた。
「話すのが辛いのなら、もうよそう」、そう言って立ちかけた私に、祥子の声が追いかけてきた。
「もっと聞いてください。お願いですから」


丸山幸一の
『祥子(さちこ)
~ある女拳闘家の記録~』

第1回
第2回
第3回
第4回

丸山幸一の
『悪魔に愛されたボクサー』
第1回
第2回
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