Reportage ボクシングルポ
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試合の日が近づくにつれ、幾つかの問題が出始めていた。
ひとつは切符の売れ行きである。「一体、真剣勝負なのかショーなのか」。国電(現JR)の中ではアチコチからこんな会話が聞こえてくる。当日の試合を放映するNET(現テレビ朝日)には「アリがリングに上がる正確な時間を教えてくれ」といった問い合わせの電話が鳴り続け、主催者の新日本プロレスの事務所には「アリと猪木の毎日の行動を秒単位で教えて欲しい」といったマニアックな問い合わせが後を絶たない。それに応じるかのように、連日事細かに報道するスポーツ紙・・・。少なくとも、こと話題性においては、当時「首相の犯罪」として話題になっていたロッキード事件をも凌ぐ勢いで日本中の話題を一点に集めた感さえある「
世紀の決闘」だった。
にも拘らず、切符が売れている、という情報は入ってこなかった。僕らは都内の幾つかのプレイガイドを回ってみた。席は30万円、10万円、5,4,3,2,1万、さらに5千円という値段である(当時の物価は今の約3分の1)。「1万円以上の席の売れ行きは30%」――それは試合の3日前の実情だった。
「こういう大興行は最低1年の準備期間が必要なんだ。でもこの試合が正式に決定したのが3ヶ月前で切符の売り出しが5月28日。これではやはり苦しい」。
新日本プロレスの社長でもある猪木の説明である。
だが、それだけではあるまい。法外とも思える切符の値段に加えて、試合開始時間が午前11時半。これは米国でのクローズド・サーキッド放映に合わせた結果なのだが、幾ら当日が土曜日といえども、午前中に格闘技の試合を見る習慣なぞ日本にはなかったからだ。
切符の売れ行きという営業面の問題と並んで、猪木の頭を悩ませていたのが、ルール問題だった。試合の調印式が行われたのは試合の3日前の6月23日だったが、猪木側が大きく譲歩し、何とか両者の一致をみたのは、翌日の深夜だった。「アリの敗北をアラーはお許しにならない」。アリのマネージャーであり宗教上の指導者であるハーバード・モハメッドのこの“指令”が、比較的簡単に考えていた猪木側を混乱に陥れていたのである。
「オレだってボクシング対プロレスリングの対決と単純に考えた訳ではないよ。オレはアリのパンチを浴びることも覚悟している。しかし向こうは、オレが使うプロレス技のほとんどを拒否してきやがった」。ルール会議が終わり、会場を出てきた猪木が憤然として語った。「その上ハイキックはいけない、空手チョップも駄目、これではまるでダルマ同然。そう思いながらも、試合の実現が先と、プロモーターの立場からほとんど全ての条件を飲んだんだ」。口角泡をとばして語る猪木だったが、「ただね」一旦言葉を切ると、こう続けた。「正直な話、オレはアリを恐れていた。オレにとってアリは未知であり、モンスターだった。とはいえそのモンスターに負けたら、オレが今まで築き上げてきたものが 全て崩れてしまう。そう思うとオレは眠ることも出来なかった。しかし今オレは、初めてアリの本心を知った。何故アリがあれほどルールに拘ったのか。答えは一つ。それはアリの中にオレ以上の恐怖があるからなんだ。そう思った瞬間、オレにとってヤツはモンスターからただの人間に成り下がったんだ。結局、戦う人間はオレを含めて、みんな臆病者なんだよ」
異種格闘戦のルールに、アリがあれほど拘ったのは…
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つづく |
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