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 Zine-Column vol.4
憧れの後楽園ホール


船橋真二郎
 
「地震で今日になりましたが、大会を実現するために動いてくださった多くの方々がいて、今日、こうしてリングに……憧れの後楽園ホールのリングに立つことができました。心から感謝いたしております」
 5月8日、女子ボクシングのトリプル世界戦が行なわれた東京・水道橋の後楽園ホールのリング上。中継したCSスカイAのインタビューに応えた富樫直美(ワタナベ)は、こう言って微笑んだ。

 “憧れの後楽園ホール”。素敵な響きではないか。

 東京をベースにしている富樫だが、これが2年ぶりとなる後楽園ホールのリングだった。一昨年12月には大阪に赴き、昨年は4月にタイ、10月にはメキシコへ遠征し、WBC女子世界ライトフライ級のベルトを守り続けてきた。
 それでは、ようやく故郷に帰って来ることができた、みたいな感慨が、思わず彼女にそう言わせたのだろうかと言えば、そういうことではない。「この2か月という時間は、もう一度、試合を迎えるために必要な時間だったと思います」。試合前日の会見の席上、富樫はこう語っていた。

 2か月前、3月11日。富樫ら出場選手たちは、公式計量を無事に終え、あとは翌日の試合を待つばかりというところで地震に遭った。主催者のゲン・インターナショナル代表、林隆治氏の言葉を借りれば、「地震で試合が中止になって、選手も我々も途方に暮れてしまいました……」。
 関係者の協議により、5月8日にスライドして開催されることにはなったが、本当の調整はそれからのことで、万難があっただろうことは、林氏が会見で吐露した「やっと、ここまで戻って来られたな、と思います。もう一度、こうしてできることが信じられない気持ち。正直、投げ出そうかと思ったことも何度かありました。こうして、また体重を落としてくれた選手たちには、厚く御礼を申し上げたい」という言葉からも伝わってきた。

 途方に暮れたひとり、富樫にとっても長い2か月だった。テレビなどで震災の惨状を知るたび、心を痛め、「ボクシングをやっていてもいいのだろうか」と迷うこともあった。余震が起きるたび、「また試合がなくなってしまうんじゃないか」と不安で気持ちが揺れたこともあった。そんな自分と同じ状況下、開催地を直前に東京から神戸に変更して4月8日に行なわれたトリプル世界戦で、世界王者としての仕事を遂行している長谷川穂積(真正)、西岡利晃(帝拳)、粟生隆寛(帝拳)の強さに背を押され、懸命に生きる被災者の姿に、逆に励まされもした。
 様々なことを感じ、受け止め、何度も思い直しながら、富樫は「リングで試合を迎えられることを幸せに感じます」という心境にたどりつく。そして、この「試合を迎えるまでの時間を過ごしたことが、自分にとって大きな成長でした」と振り返ることになるのだ。

 憧れの後楽園ホール――それは、5月8日の試合が終わった控え室で「今まで生きてきて、当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃないんだと、皆さんが感じたことと思いますし、一瞬一瞬を大事にしなきゃいけないと感じます」と神妙に語り、「リングに上がる機会をつくってくださった方々、会場に来てくださった方々に感謝したいと思います」と繰り返した富樫の、力みのない心からの表現だったろう。

 震災の状況を受けて、3月16日、東日本ボクシング協会は後楽園ホールで予定されていた3月中の残りの興行の自粛を決定した。一時的とはいえ“ボクシングの聖地”からボクシングが姿を消したのだ。当たり前のものはない、ということを、ボクシング界として再認識させられる出来事でもあったはずだ。
 3月11日から数えて3週間後の4月1日、聖地にボクシングが帰る。しかし、会場入口で行なわれている被災地への義援金を募る募金活動、パンフレットに折り込まれた避難経路の案内用紙、地震発生時の対応を説明するリングアナウンサーのアナウンス、開始前の黙祷、レフェリーら試合役員の袖に巻かれた喪章……。このような後楽園ホールの風景が、日常であって日常ではないのだ、という思いを、我々に強く抱かせもした。

 それから、さらに時が経つ。中には姿を消した風景もあれば、今だ変わらず続いている風景もある。そして、以前と同じように後楽園ホールに足を運ぶようになると、残された風景も含めて、いつの間にか、また当たり前の日常として受け入れ始めている自分に、ふと気づくことがある。
 そんなとき、思い出されるのが富樫の言葉なのである。その背景にあるのは、ボクシングに限らず、誰の日常にも通じる大切な心持ちであるように思われるし、だから、富樫のように、あらためて自分の身のまわりの物事や人を見つめ直して、心に浮かんできた修飾語を付け直してみるのも、いいかもしれないと思うのだ。(憧れの)後楽園ホール、というように。それを取り巻く当たり前に思えた日常が、かけがえのない日常として、心に染み込んでくる気がしないだろうか――。
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